不動産業界で管理業務に携わる佐藤氏は、誰も住んでいないはずの、完璧にクリーニングされた新築物件の内見案内中に、リビングの真ん中で仰向けになって死んでいるゴキブリに遭遇するという、気まずい経験を何度もしてきました。「未入居で餌も水もないはずの場所になぜ現れるのか、それは不動産管理における永遠の課題です」と彼は苦笑いしながら語ります。その謎を解明していくと、いくつかの意外な事実が浮かび上がってきました。まず一つ目は、排水トラップの「封水切れ」です。新築物件は、内覧の準備や清掃から引き渡しまでの間、数週間から一ヶ月ほど水が流されない期間があります。すると、下水の臭いや害虫の侵入を防いでいる排水口の水が蒸発して無くなり、下水道からゴキブリが自由に侵入できる「高速道路」が開通してしまうのです。内見時に現れる個体の多くは、この乾いた配管を通じて入ってきたものです。二つ目の理由は、内覧者の出入りです。玄関ドアが開けっ放しにされる時間が長く、また人の服やくっついていた卵が落ちることで、無人の空間に命が芽吹いてしまいます。そして三つ目は、新築物件が持つ「暖かさ」です。近年の高気密高断熱住宅は、一度温まると冷めにくく、外気より常に数度高い状態が維持されます。冬場であっても、外で凍えているゴキブリにとって、無人の新築住宅はまさに楽園のような避難所に見えるのです。佐藤氏は対策として、定期的な巡回の際に必ずすべての蛇口から水を流し、排水トラップを水で満たす「封水管理」を徹底していると言います。「たったこれだけのことで、空室物件での遭遇率は劇的に下がります」。また、彼は引き渡し前の施主検査の際に、必ずお客様に「エアコンを設置するまでは通気口のフィルターを確認してください」とアドバイスしています。誰もいない空間で、静かに侵入の機会を伺っている彼らにとって、未入居の新築物件は防備が薄い最高のターゲットなのです。これから家を買う人、あるいは建てたばかりの人は、自分が住み始めるまでの「空白の時間」にこそ、最大の侵入リスクが潜んでいることを自覚すべきです。誰もいないはずの家で、カサリと音がする。その謎を解く鍵は、私たちが当たり前だと思っている排水や換気という住宅の生命維持システムの一時的な停止にあるのです。夢のマイホームを真の無菌状態に保つためには、人間が住み始めるその瞬間まで、管理の手を緩めてはならないのです。