「うじ虫」という言葉は、私たちにとって不潔と嫌悪の象徴であり、日常生活においては百害あって一利なしの存在として認識されています。しかし、その常識を覆す、驚くべき事実があります。特定の種類のうじ虫が、実は最先端の医療の現場で、人間の命を救う「治療者」として活躍しているのです。この治療法は「マゴットセラピー(ウジ治療)」と呼ばれ、その歴史は古く、古代マヤ文明や、南北戦争の時代から、その効果が経験的に知られていました。マゴットセラピーで用いられるのは、どこにでもいるイエバエのうじ虫ではありません。無菌状態で特別に養殖された、「ヒロズキンバエ」という種類のハエの幼虫です。この治療法が特に効果を発揮するのは、糖尿病による足の壊疽(えそ)や、深い褥瘡(床ずれ)など、抗生物質が効きにくく、血流が悪くなって壊死してしまった傷の治療です。治療方法は非常にシンプルです。まず、患部を洗浄し、その上に生きたうじ虫を数百匹置きます。そして、うじ虫が逃げ出さないように、特殊なドレッシング材で傷全体を覆い、数日間そのままにしておきます。この間に、うじ虫たちは驚くべき働きをします。彼らは、健康な生きた組織には一切手を出さず、壊死して腐敗した組織だけを、選択的に、そして非常に効率的に食べてくれるのです。これは、どんなに腕の良い外科医でも真似のできない、精密なデブリードマン(壊死組織除去)作業です。さらに、うじ虫が分泌する唾液には、強力な殺菌作用を持つ物質や、傷の治癒を促進する成長因子が含まれていることが分かっています。つまり、彼らは壊死組織を除去する「外科医」であると同時に、細菌を殺し、傷を治す「薬剤師」の役割も果たしているのです。この治療法により、これまで足を切断するしかなかった多くの患者が、その足を救われています。もちろん、体に生きたうじ虫を這わせるという治療法は、患者にとって大きな心理的抵抗を伴います。しかし、その効果は絶大であり、欧米では医療行為として正式に認可され、日本でも一部の医療機関で先進医療として導入されています。不潔の象徴であるうじ虫が、実は驚くべき清浄作用を持っていた。この事実は、私たちが物事を一面的なイメージだけで判断することの危うさを、教えてくれているのかもしれません。